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●ワーホリ体験記

2012年度
滞在先:パリ
体験者:村上さん

 学生時代に観光旅行でパリを訪れて、「ああ、住んでみたいなあ」と思ったのが、フランスでのワーキングホリデーのきっかけでした。卒業し、社会人になった時点で「同じ会社で3年間は絶対に勤め続けよう」と決意し、実際に3年以上働いた時点でも
「フランスに行きたい!!」
「でも留学じゃなくてワーキングホリデーでいいの?」
「せっかく海外に行くのなら、学位を取ってくるとか、パティシエやソムリエなど専門的な職業の修業で行かないともったいないんじゃないの?」
「かと言ってフランスで特に集中して勉強したいこともないし…」
「そもそも、20代後半にもなって、ワーキング『ホリデー』なんてしてていいのかしら?
「『結局、1年海外で遊んでました〜』なんてことになって、社会人としての一年を無駄にしてしまうのでは…」etc.etc.
とグジグジしつつも、何か行動を起こさないと…とインターネットで検索をしていて辿り着いたのがミルジョワ企画のウェブサイトでした。
 その後面談して登録しつつも、せっかく勤め続けている会社を辞める決断はできず、まずは渡仏後の仕事が決まったら…と佐藤さんに各方面へ働きかけて頂いていた矢先に東日本大震災が発生。幸いにも家族・親族の人的被害はなかったものの、被災地出身の身としては
「地元が大変な時期に、これからまた何か起こるかも知れないのに、自分だけ勝手気ままにワーキングホリデーなんてしてていいの?」
と、また足を進めることができない状態に。
 私が勝手に設定した「かくあるべき社会人像」から離れるのが怖く、佐藤さんにはしばらく保留にして頂きましたが、佐藤さんの励まし、そして地元の元同級生が亡くなったことで「できる時にやっておかないと…」と踏み出すことができ、佐藤さんからご紹介頂いた日系企業からの良いお返事があったことから、約6年勤めた会社を退職して渡仏しました。

 腰が重かったというべきか慎重だったというべきか、渡仏前の方が乗り越えるハードルが高かったですが、本当にフランスにワーキングホリデーに行ってよかったなと思います。渡仏後も足を怪我してしまい、佐藤さんやホームステイ先、就労先に助けて頂いたり大変なご迷惑をおかけしてしまいましたが、深夜3時に病院の夜間救急でレントゲンを撮ってもらったことも、自分で注射が必要な抗血栓剤についてフランス人医師からフランス語で粘り強く説明してもらったことも(電子辞書が大活躍でしたが)、横断歩道や市営バスで多くのフランス人に声を掛けてもらったことも手助けしてもらったことも、いい経験になっています。開き直り、とも少し違うかもしれませんが、渡仏前よりも楽観的に物事を捉えられるようにもなったように思います。
 人によっては、特に料理人や美容師などのように日本での専門の職業がフランスで活かせるというわけではない人にとっては、ワーキングホリデーというのはちょっとしたギャンブルかもしれません。それでも、その一年または数ヶ月で、きっと予想もしていなかった収穫を得られることと思います。それはもちろん自分の出発前の努力、出発後の努力にも影響されますが、運の働くところも大きいと思います。とはいえ、佐藤さんが時折「自分で努力をし尽くした人に運は味方してくれる」という趣旨のことを仰っていて、それも実感した1年でした。

 フランスの場合、正規の労働ビザの取得はとても難しいもので、また学生ビザでも週20時間は就労することができます。せっかくワーキングホリデービザを取得するのであれば、フルタイムの就労経験を通して何らかの収穫を得てほしいと思います。ビザの期間自体は1年でも、採用の時点で「残り6ヶ月以上」「残り8ヶ月以上」という求人情報も見かけました。出発前、日本での仕事の退職前、ビザ申請前に仕事のめどがついているというのは、精神衛生上本当に価値があるものでした。私のように腰が重すぎるのも考えものかと思いますが、人生で1度しか取得できないワーキングホリデービザを最大限に活用する為にも、出発前のフランス語の勉強、貯金そして就労先のめどは不可欠だと思います。

新! 大人材をご紹介
パリ1区の一等地の高級ホテルでレセプションとして働く

ご相談のメールを拝見したのは2018年の冬。
それからカウンセリングをさせていただき、ご希望を聞き、弊社と一緒にやることに。
しかしながら 実は安田さんは在日韓国人。 日本で生まれ育った彼女にとってはどこからみても日本人。今どきの日本人よりずっと日本人らしい。(言葉遣い、挨拶、態度 などなど)
それでもワーホリビザ申請は韓国でしなくてはいけない。その大変さといったら筆舌に尽くしがたいものがあった。代表ブログでもご紹介してますのでご興味があればお読み下さい。未だに在日の方々がいろんな意味で差別を受けている、、、選挙権もない、ヴィザも生まれてもいない 育ってもいない 住んでもいない韓国へ行かなくてはいけない、もちろん法的に日本人として手続きをすれば日本での申請も選挙権は得られるが、、、やはりそこは簡単にはいかないもの。。。ご両親は韓国の方。 沢山の、本当に沢山の困難にぶつかりながら それでも諦めることなく、フランスへの夢を持ち続けた。 続きを読む⇒

大人材 ご紹介!
パリのショコラティエの売り子さんとして労働ビザ取得

「2013年3月からパリのショコラティエの売り子さんとして2014年3月まで働いていた小野田さん」
ミルジョワ企画 代表:佐藤 が感心した、いまどき珍しい 礼儀正しく、誠実で、控えめ それでいて頑張り屋さんの大・人材をご紹介!
弊社に登録後、 続きを読む⇒

フランスWHビザで働く際の注意事項
〜弊社が紹介する仕事先について〜
ご存知の通り、WHビザは期限付きのビザです。入国から出国まで1年以内。ということはどんなに最長で働けたとしても就労も1年以内となります。1年も働かない社員に5週間の有給休暇があるはずがありません。
そんな奇特な会社経営者はおりません。そして 仕事もままならないうちに自分のお休みはいつか聞くことも常識人ならいたしません。ましてや有給休暇があるかどうかなど論外です。聞く人いるの?と思いますよね。
(フランスは雇用主より雇用される側がかなり護られいてる国。もちろんお休みはあります。)
確かに聞いていけないことではないです。でも 聞くことでもありません。そういう所でその人の人間性がでてしまいます。

要は異国の地でどれだけ雇用主から認められるか、です。お給料もお休みもきちんとするのがフランスの国の法律です。だからといって 規則通り法律通りの働き方をするか、時にはそれを度外視し感謝の心で働くか、フランスは日本以上にそういうところがその先の滞在に影響する国です。日本人よりずっとずっと人間臭いのがフランス人です。

要は “フランス語もままならない自分を、VISAの関係で長く働けない自分を雇って頂き感謝します”
という心があるかどうかです。感謝の心を失うと勘違いが始まります。Attention !!


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